紫陽花の思い出
庭の紫陽花が満開になっています。
紫陽花は、思い出のあるお花。
私の祖母は、三重県に住んでいました。
祖母は長い間、施設にいましたが具合が悪くなり、入院。
もうダメかも…ということで、両親と私は東京から車で三重へお見舞いに行きました。
祖母は、意識はあったけどはっきりはせず、こちらの質問にももちろん答えられなかった。
痩せ細っていて、ベッドに横たわったままだったけど、手は動かせるようで握手をした。
あまり長くは滞在せず、本当に顔を見て挨拶をしただけでその場を後にした。
うちはよく車で三重まで帰省する。
鳥羽から静岡の伊良湖までのフェリーがあるので、車で帰省するときはそれを利用しています。
この時も、帰り道は鳥羽から伊良湖までフェリーに乗り、そこから車で走りました。
伊良湖からの道は、緑が多く、時々海岸が見える気持ちの良い景色。
その道路脇の植樹帯に満開の紫陽花が咲いていて、しばらくの間、車の後部座席から、次から次へと通過していく紫陽花を眺めていました。
直接会った祖母の様子から、もうダメなんだろうということが、誰も何も言わなくても伝わってきました。
生きている祖母に会えるのはこれで最後だったんだという現実が、それまでぼーっとしていた頭と心に、じんわりと染み込んできて、同時に悲しさが溢れてきた。
その数日後に祖母は亡くなりました。
葬儀の際、家族全員集まることが久しぶりでしたし、葬儀自体もあまり経験したことがなく、緊張もあったのか、きょうだいの間では暗い雰囲気はそれ程ないまま葬儀を終えました。
葬儀を終え、沢山の方に見送りの挨拶をしてもらった祖母の棺を、恐る恐る覗いてみた。
元気だった時の面影はなかったけど、化粧を施してもらっていて、私が幼かった時の祖母の姿を彷彿とさせた。
そうするとさっきまで、きょうだいと笑ってさえいたのに涙が止まらなくなった。それにつられてなのか、一緒に祖母の顔を見ていたきょうだいも泣き出していました。
身近な人を亡くしたのは、この時が初めてでした。
祖母は亡くなったけど私の中に思い出としてずっと生きています。
そして多分、どこかで私のことを見守っていると思います。むしろ生きている時よりも見守ってくれているんじゃないかと思う。
だから時々、祖母に見られても恥ずかしくない生活を送れているかな?と振り返ります。
面倒だなぁと思って後回しにしてしまいそうな時、サボりたくなってしまいそうな時には、祖母が見ていたらどう思うかな?こんなんじゃ祖母が悲しんじゃうな、と思い直し、サボり精神を退治しています。
今も、祖母を思い出すときは、伊良湖の紫陽花の風景が蘇ってくる。
あの時以来、紫陽花は思い入れのある花となっています。
元同僚があこや真珠を使って作ってくれた作品。
かぎ針編みが好きな彼女にリクエストを聞かれた時、紫陽花にしようと思いました。
お部屋に飾っています。
それではまた!