WORK is LIFE

生活のいろいろ

3.11 私的ストーリー①

2011年3月11日、卒業式の最後の集合写真を撮影しているところだった。

 

保健室の先生だった私も、体育館のステージに並ぶ子どもたちを見守っていた。

 

 

子どもたちが笑顔でカメラに向かっていたとき

緊急事態警報が鳴り、

大きな地震が来た。

 

体育館のライトが大きく揺れ、天井の小さな破片や埃が舞い落ちた。

 

 

生徒、保護者、教員、来賓の全員が壁際に寄り添い

揺れが収まるのを待った。

 

 

一旦収まったあと、

全員はグラウンドへ避難。

 

言葉を交わし合ったり、泣いている子を慰めたりして

事態の大きさまだ分からなかったときはリラックス感さえあった。

 

でも、テレビの報道などで事態の大きさが徐々にわかってくると

全員が真剣な様子に変わっていった。

 

 

 

 

震災のあった当日、

私は学校に泊まることになり、

その翌日、運行が復旧していた電車で帰宅しました。

 

 

直後からずっと、私は震災のニュースを見ないようにしていました。

新聞やテレビで報道される被害の状況が目に入ると

ドキッとして

反射的に目を背けていました。

 

 

自分では落ち着いているつもりでした。

ニュースを見なければ

家族と笑顔で過ごせる時間もあったし、

出勤できないこと以外の日常生活には幸い困らない状況でした。

 

 

 

1年後のある日、

震災から学ぼう、とか、そのような内容で

廊下の壁に貼り出された津波の写真が目に入ったとき、

異常なほどに動揺しました。

 

そのときにはじめて、

津波がトラウマになっているかも、

と思ったのでした。

 

反射的に、

震災の日からずっと、

見ないようにしていた津波の画。

 

自分自身の異常な動揺に驚きましたが、

あ〜そうだったんだ、と妙に納得した気持ちにもまりました。

 

保健室の先生なのにトラウマ!?

…と思われることもあるかもしれません(あるのかな?)が

トラウマは誰にでも起こりうること、

ととらえて自分自身を否定しないことにしました。

そうじゃないと、回復できなかったと思います。

 

この続きはまた明日に…。

 

 

それでは!